秩父に移住して、自分のしごとを見つけた人たちの仕事に触れる1日–秩父地域編–

はじめに

池袋から西武秩父線の特急電車に乗って約80分の秩父エリアは、東京から日帰りでいける観光地としても人気の地域です。

そんな秩父地域には、さまざまな「自分のしごと」を見つけて奮闘している方が多くいらっしゃいます。

今回はちょっぴり田舎な秩父だからこそ見えてくる 、”しごとの見つけ方” をテーマに現地で活躍する方々のもとを訪ねる交流会を実施しました。

作品づくりも家づくりも、思いのままに楽しむのがコツ

秋晴れの空の下、奥に見える武甲山を眺めながら最初に向かったのは、皆野町で木工作家として活躍しているうだまさしさんの自宅兼工房です。

うださんは、空き家バンクで偶然見つけて購入したという古民家に、奥さんと2人の息子さんと4人で暮らしています。

内装も素敵なうださんの自宅兼工房にて

「木工作家として独立しようと思って工房を探していたら、ちょうどいい条件に辿り着いたのが皆野町だったんです。

もう10年ほど前の話ですね。それから結婚して子供が生まれるタイミングで、今の家に引越してきました。

独立する前に大道具の仕事をしていたこともあって、ある程度のものは自分で作れたんです。

だから、家の内装はほとんど自分でリノベーションしました。」(うださん)

庭はお子さんたちの日々の遊び場になっています

ご自宅だけでなく、家と工房のあいだにある庭園もご自身で手掛けられたというから驚きです。

ほとんどの時間を家で過ごすからこそ、居心地のいい空間づくりを心がけているのだとか。

「月に一度、オープンギャラリーを開くようになったのは、子どものためでもあります。

この地域では、子どもの数が限られてしまって、近所で遊べる友達がいないんです。

だから自宅を開くことで、お客さんが子どもを連れてきてくれたら、うちの子ども達も一緒に庭で遊べるし、

そのあいだに大人はゆっくり作品を見てもらえると考えました。

僕の作る作品は1点ものばかりなので、直接手に取って見てもらうのが一番なんですよ。だからネットでは販売していません。」(うださん)

その場で少しだけ作業を見せてくれました

うださんの作品は、形も模様もさまざま。作品ひとつひとつに顔があるかのように個性的な作品が並んでいます。

木工作家として生計を立てるために、うださんが心がけているのは ”人がやっていないことを取り入れること”。

もちろん簡単なことではありませんが、うださん自身はとても楽しんでいる様子。

家づくりも作品づくりも、設計図を書かかずに思いつくまま形にしていくうださんは、

理想の環境を整えながら無理なく楽しく、仕事も暮らしも作り続けているようです。

地元の人たちに愛されるコーヒースタンドになるために

続いて向かった先は、長瀞町の宝登山神社の参道にある『HODOSANDO COFFEE STAND(ホドサンドコーヒースタンド)』です。

お店から歩いてすぐの場所でゲストハウスも運営しているオーナーの石森まさしさんが出迎えてくれました。

参加者はそれぞれにコーヒーを注文し、ほっと一息つきながらお話を伺いました。

お店で自家焙煎した美味しいコーヒーが味わえます

「すぐ近くでゲストハウスを運営しています。

宿を運営している中で、気軽にコーヒーを飲める場所があったらなと思い、偶然この場所が借りられることになったので、コーヒースタンドを始めました。

ここは長瀞町を訪れる観光客の動線からは少しズレてるんですよ。

だけど、宝登山にいく参道の入り口で、まだまだ面白くできる余地があると思っています。

あと、長瀞町は住んでいる人が行きやすいお店がまだまだ少ないんですよね。

なので、平日は住民向けの割引サービスもしています。

おかげさまで、地元の人も観光客もだんだん立ち寄ってくれるようになりました。」(石森さん)

町をもっと面白くしたいと熱く語ってくださったオーナーの石森さん

宿を運営しながらコーヒースタンドも運営する石森さん。

そのパワフルさはどこから来るのでしょうか。

「ここもまだオープンして1年経っていないので、試行錯誤の連続ですよ。

ゲストハウスも、いざオープンしようと思ったら、ちょうどコロナが流行り始めた時期に被ってしまい…。

悪戦苦闘することばかりですが、その分、決めすぎず柔軟に対応する力は付いたかもしれませんね。

まだまだ長瀞町は面白くなると思っているので、地域おこし協力隊や若手の仲間たちとも連携しながら、これから色々仕掛けていきたいです。」(石森さん)

秩父6宝登山へ訪れる人たちがフラッと立ち寄れるお店になっています

石森さんのお話を聞いていると、上手くいかないことがあっても、それをバネに楽しんでいるようにも思えます。

目の前に課題があっても柔軟に、知恵を絞りながら行動していく、それが地域で新しいことを進めていくコツなのかもしれません。

手間暇を楽しみながら、地元の美味しさを伝えていく

昼食は、秩父市街地へ戻り、秩父駅のビルの中にあるレストラン「春夏秋冬」へお邪魔しました。

毎朝精米したお米と、自社で育てた無農薬野菜が自慢のお店です。

この日は、野菜の素の味が楽しめるせいろ御膳をいただきました。

昼食にいただいた、野菜たっぷりのせいろ御膳は人気メニューです

「自分もUターンで戻ってきて、このお店を引き継ぎました。吉田さんにロゴやパンフレットを頼んだのがきっかけで、

発信の仕方も色々とアドバイスをもらえたのは大きかったですね。

お米を毎朝精米しているのも自社栽培の野菜を使っているのも、当たり前のようにやっていましたが、もっとPRしたらいいんだと気づいて。

今はInstagramでの発信にも力を入れています。

秩父市は寒暖差があるので、野菜も自然と美味しくなるんですよね。

もちろん手間暇はかかりますが、それを楽しめる場所だと思っていますし、お客さんに秩父市の美味しさも伝えていきたいですね。」(町田さん)

店長であり野菜ソムリエの資格も持つ、笑顔が素敵な町田さん

今回ツアーをアテンドいただいたmalume designの吉田さんイチオシのお店は、つい人に教えたくなる素敵なお店でした。

町田さんの笑顔と人柄が、このお店のウリだと感じながら、一向は次なる場所へ向かいます。

伝統産業を通して、地元を見直すきっかけづくりを

秩父市の伝統産業でもあり、秩父といえば知る人ぞ知る『秩父銘仙』の機屋(はたや)さんである新啓織物さんの工場を訪ねました。

古い機械が並ぶ工場に足を踏み入れると、時代がタイムスリップしたかのように空気に包まれます。

工房の中には年季の入った機械がずらりと並んでいます

新啓織物の2代目である新井さんは、子どもの頃から代々続く産業を継ごうと心に決めていたそうで、

高校卒業後に東京の繊維商社に勤めたのち、36歳で秩父に戻ってきました。

「うちは秩父銘仙のほぐし織りをメインにやっています。秩父銘仙のはじまりは江戸時代で、ピークは大正時代だったようです。

もともと養蚕が盛んな地域だったので、売りに出せない余ったまゆを紡いで農家が自分たちの着物にしたことから様々な手法が生まれたそうです。

中でも秩父銘仙は柄がカラフルで光沢があることから庶民のあいだで流行りました。

それも着物文化と共に衰退してしまって、昭和30年ごろからは寝具中心に転換していきました。」(新井さん)

秩父10動かすと “ガッシャンガッシャン” と機織りの音が響きます

もともと織物は分業制で、いろいろな工程を担う人が地域にそれぞれいましたが、今では数えるほどしか機屋は残っていないのだとか。

現在、秩父市でも秩父銘仙を活用したプロモーションなどに力を入れており、

地域おこし協力隊として秩父銘仙のPRをメインに活動している人や自ら機織りを学んで制作する人も少しずつ増えてはいますが、

産業として残していくのは簡単なことではありません。

「秩父の人は、秩父銘仙を知っているようで案外知らない人も多いです。田舎ってそういうところありますよね。

なので、外の人の方が秩父銘仙に対する興味や反応も良かったりしますよ。でも、自分がやりたいのは、地元の人にもっと知ってもらうことですね。

そのためにも、みんなに関わってもらうことが大切だと思っています。

先日、ベンチャーウイスキーさんと一緒に、秩父ウイスキーをテーマにした秩父銘仙の柄を吉田さんにデザインしてもらったんですよね。

みんなで揃ってこの柄を着てウイスキーを飲みたいねって話してます。

他の産業や事業者と連携しながら、こういうプロジェクトを作っていけるのは秩父の良さかもしれませんね。」(新井さん)

秩父銘仙の魅力をたくさんお話くださった新井さん

秩父銘仙の歴史や特徴、今に至るまでを丁寧に分かりやすく説明してくださった新井さん。

普段触れることのない伝統産業ですが、地域の成り立ちや文化を紐解くのには古くから続く地域の仕事を知ることも一つの手なのかもしれません。

夕方に差し掛かり、辺りも少しずつ薄暗くなってきましたが、最後は吉田さんが秩父駅周辺のまちを案内してくださいました。

秩父駅から秩父神社の参道方面へまちを案内くださった吉田さん

秩父のまちには、モダンで味のあるレトロな建物やお店が今なお残っています。

秩父銘仙をはじめ、古くから続く伝統や文化、お祭りが色濃く残っているのも、秩父市の面白さのひとつなのかもしれません。

レトロなお店や建物を見つけるのは秩父のまち歩きでの醍醐味です

ウイスキーが世界と秩父のコミュニティを繋ぐ

そんな吉田さんのまち歩きでたどり着いた先は、世界各地のウイスキーを堪能できるアイリッシュパブ『ハイランダーイン秩父』です

ここで今日1日を振り返りました。

令和元年に古民家を改装してオープンしたお店は、スコットランドに本店を置く世界的にも有名な英国式のパブです。

そんなお店で働く店長の福井さんも従業員の方々も、ウイスキー好きが高じて移住してきた方ばかりです。

「僕は香川県出身で、ここに来るまではずっと関西にいました。ウイスキーが好きで、毎年スコットランドのお店にも通ってたんですよね。

そしたら偶然、オーナーの吉川さんがいらっしゃって。今度、秩父で店を開くから一緒にやらないかと誘われたんです。

それまでは飲食と関係ない仕事をしてたんですが、こんなチャンスはないと思い、仕事を辞めて秩父にきました。」(福井さん)

ハイランダーイン(Highlander Inn)は、ウイスキー業界では知らない人はいない有名店、そして秩父市は世界中にファンをもつベンチャーウイスキーのお膝元です。

全世界からここを目掛けて訪れる人も多いそう。

店内には石蔵の中にぎっしり詰まったウイスキーボトルが並んでいました

「関東で初めて住んだ場所が秩父市になりましたが、東京が近いのはビジネスする上でも大きいなと感じます。

自然も豊かな場所だけど、あんまり田舎だとは思ってないですね。

あと、Uターンや移住者の人で30〜40代で活動している人も多いので、一人繋がるとみんな知り合いになれて友達もできて、

プライベートも楽しめていますよ。秩父市としての人口は減っていますが、ポテンシャルのあるまちだと思います。」(福井さん)

秩父の魅力や面白さを関西弁で語ってくれた店長の福井さん

秩父市は田舎すぎないので、地方出身の人にはとても住みやすい場所だと思いますと話してくれた福井さん。

将来的には独立したいそうで、もっとウイスキーに特化した場所やお店があってもいいかもと、秩父市もその候補地のひとつになっているそうです。

ツアーの最後に、1日アテンドしてくださった吉田さんからも秩父地域についてお話を伺いました。

「福井さんもおっしゃっていたように、移住して秩父地域で何かしたい人は、地域のコミュニティを見つけるのはカギだと思っています。

いろんな活動をしている人はいるけれど、会社と家の往復だと知り合いを作る機会がなくて、まちを離れてしまう人もいます。それはもったいないですよね。

僕も移住者ですが、秩父市に来たことでデザイナーとしての幅がとても広がりました。

たまたまお店で隣になった人が秩父ウイスキーの社長でロゴを任せてもらえたり、新啓織物さんと一緒に秩父銘仙のデザインを考案させてもらったり。

田舎だからこその人との繋がりやコミュニティの強さは、仕事をする上でも大きいですね。」(吉田さん)

お昼に立ち寄ったじばさん商店は、吉田さんがリブランディングにも携わったそう

今回のテーマでもあった ”自分のしごとを見つける” ヒントは、秩父地域ならではの人との繋がりの中で生まれ、広がっていくものだと話を今日一日を通して感じました。
地域性やとりまく環境、周りの人との関わりなど、日常の出来事が仕事のチャンスに繋がっている。

それもまた、秩父地域の魅力の一つだと感じました。